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「自分でやったほうが早い病」から寛解、ニュートラルで独特だけど、自称「普通の象徴です」。シニアディレクター菊地充インタビュー

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パブリックリレーションズ
石川 真弓

mitsuru_kikuchi

クリエイティブディレクター
菊地 充

「自分でやったほうが早い病」から寛解、ニュートラルで独特だけど、自称「普通の象徴です」。シニアディレクター菊地充インタビュー

こんにちは。広報の石川です。

突然ですが「自分でやったほうが早い病」を患うディレクター職やマネージャー職の人、いませんか?
私もそうでした。そしてロフトワークのディレクターの中にもこの病気に悩む人間は少なからずいると思います。1px程度のデザイン修正だったら自分でpsd開いて直したほうが早い、多少のhtmlのバグは自分でコーディングしちゃった方が早い、クライアントからの細かいデザインの修正要望をデザイナーに伝えて交渉するくらいだったら自分で手を出したほうが早い…。それって、その場限りでは早いし、自分が有能な錯覚すらしてきます。でも、結果的に自分がやらなくても良い作業に膨大なリソースを割き、頭を動かすより手を動かすことに夢中になり、気づけば長時間労働してしまっている…それが「自分でやったほうが早い病」です。
そんな病から「まるでドラッグが抜けた」かのように治ったという、ロフトワークの知られざる重鎮ディレクターの菊地充のインタビューをお届けします。
菊地はロフトワーク7年目、Webサイトの制作ディレクションを中心に数々の大規模なプロジェクトを手がけ、シニアディレクターとして活躍中。彼の独特で不思議な言動には社内にファンが多く、本人の知らないところでファンクラブが存在(今この記事でバラしたも同然ですが)し、みっくん(菊地の愛称)情報が日々寄せられています。

--石川:まずは菊地さんのバックグラウンドから紐解いていきたいと思います。菊地さんは学生時代からロフトワーク入社まで、何をしていましたか?また、ロフトワークに入社したきっかけを教えていただけますか?

大学では演劇部に所属していて、裏方として学園祭などでチラシなどを作ったりするようになり、それをきっかけにデザインというものに興味を持つようになりました。当時Macは今よりもずっと高くて、30万円くらいのPowerbook G4をローンで買って、illustrator8.0とPhotoshop5.5でデザインをはじめました。当時データのやり取りは主にMO(※)を使っていました。しょっっちゅうフリーズするし、印刷時に「プリンタフォントをダウンロードする」にチェックを入れないと全部文字化けして大変なことになったり。オンライン入稿もあまり普及してなかったので、今と比較して圧倒的に作業に時間がかかっていました。バイク便代をケチって、電車で自らMO(※)を持って納品に行ったりとか。そりゃ残業増えるわという(笑)
※MOとはマグネットオプティカルディスクの略です。

--マグネットオプティカルディスクですか。昔、パソコンは本当に高かったですね。当時の学生のほとんどは、クリエイティブ系のソフトをなんらかのかたちで入手して使ってましたね…。そして就職は?

大学4年の時、社員2,3人しかいないデザイン会社にインターンとして働き始めたのですが、スキルも未熟だったので正式な採用はしてもらえず卒業と同時に無職になっちゃいました。その後のある日、新聞の広告欄に小さな広告代理店が「Macオペレーター」を募集していたのを見つけて応募し、そこに就職することができました。媒体に合わせて広告のデザインを調整する作業が仕事の主でした。そこでは主に媒体に合わせて広告のデザインを調整する仕事を約2年間、その次は量販店のPOPなどの販促ツールを制作するデザイン会社に転職し約3年間働きました。ちょうどWebの仕事も増え はじめ、逆に紙の仕事が減っていった時代です。
そしてその当時、ロフトワークの書籍『Webプロジェクトマネジメント標準※』に出会ったのがロフトワークを知るきっかけでした。当時、広告業界は世の中的にまだまだ長時間労働が当たり前だったし、制作側の立場も弱かったので、「プロジェクトマネジメント」ということを考えてWeb制作をしているということ自体が、風穴を開けるかのように衝撃だったことを覚えています。これは新しい流れだなと。ロフトワークの「クリエイティブの流通」というミッションにもすごく共感したし、プロジェクトマネジメントだけではなくクリエイティブに関しても真剣に考えていること、そのバランスが魅力的に感じました。2011年の震災の直後にロフトワークに面接を受けて入社することになりますが、当時はまだFabCafeも無くて「マルチCMSベンダー」としてのイメージが色濃かったですね。社員も50人程度でした。

当時の面接官のKさん談
「僕が面接担当だったのですが、春先なのに革ジャン着てきてめっちゃ汗かいてた。」


※ロフトワークは、2002年という早い段階からWebとクリエイティブの領域に世界標準のプロジェクトマネジメントの知識体系「PMBOK(ピンボック)」を導入し、Webプロジェクトのフレームワーク確立や失敗リスクの軽減などに努めてきました。その過程で得た知識や経験を体系化し、Webの制作現場につながるように編綴したのが、書籍『Webプロジェクトマネジメント標準』です。こちらから書籍PDF全文ダウンロードできます。

当時は「プロジェクトマネジメント」 という考え方が、風穴を開けるかのような衝撃だった

--ロフトワークに入って7年経ちますが、働いてみて、どうでした?菊地さん自身もそうですし、ロフトワークも過渡期でいろんなフェーズがあったと思います。

いやあ、領域が拡がってきて年々面白くなってきてますね。
と言っても最初の1-2年はわからないことばかりで…先輩ディレクターとの力量差がありすぎて、追いつくのに必死でした。パートナーに仕事を振るのも苦手で。プロジェクトマネジメントに惹かれて入社したのに全然上手く活用できなかった。独り立ちするまでに時間がかかりましたね。よく多恵子さんとかに怒られたりとか(笑)でも怒られるのは大丈夫でした。すぐ忘れちゃうし。

--メンタル強い系なんですね。

でも自分が手を動かせばどうにかなるという案件規模を超えたときに苦悩が訪れました。数年前のとあるプロジェクトで、土曜日の朝に某CMSの管理画面を開いて、ずっと日曜の夜までずっとカスタマイズやコンテンツ登録などしていじってたんですけど、全然終わらない。自分が土日の時間を注げばどうにかなる範囲はとっくに超えてしまっていて、いよいよこれはやばい、と思いました。これはちゃんとプロジェクトマネジメントをしないと共倒れになってしまうぞと。制作畑出身なので、ついつい自分で手を動かしてしまうんですよね。

--それがいわゆる「自分でやったほうが早い病」ですね。

中途半端に知識があった分、器用貧乏になってしまうんですよ。1pxのズレとかが気になって自分で直してしまう。ロフトワークにも制作畑出身のディレクターはこういうタイプ多いですね。結果、自分で作業してしまうとどうしても時間がかかって、長時間労働化してしまっていました。それを抜けるのに3-4年かかりましたが、今はドラッグが抜けたかのごとくすっきりしましたね。もう大丈夫です!自分が手を動かさないかわりに、デザイナーなどにきちんと伝える努力をすることが大事だということに気づきました。

ほぼ同期のSさん談
「この6年間のジャンプ率すごい。最初の頃なにこのひと!って思ってた(色んな意味で。)」

今はドラッグが抜けたかのごとくすっきりしましたね

--じゃあドラッグが抜けた今、どんなディレクションのスタイルを心がけているんですか?

プロジェクト管理はしっかりしつつ、でも変化に柔軟に対応できるようにある程度の「余白」は持たせておく。人の体制も含めて、プロジェクトのデザイン・設計につきるなと思います。
「この人をプロジェクトに入れたらどうなるか」という予測がつくようになってきました。当然デザイナーによってもそれぞれコンピテンシーが違っていて、クライアントと一緒に考えながらデザインを創っていける人もいれば、きっちりワイヤーフレームを用意しないと作れないデザイナーもいます。そういったことも含めて「この人をいれるとこうなるというイメージ」がずいぶん見えてくるようになりましたね。
あとはパッション。チーム全員が同じ熱量帯びた状態を作ろうと心がけています。と、言ってみたもののこれが難しくって。どこかに注力するとどこかが抜けそうになっていたり、その黄金比というか絶妙な状態をプロジェクトの最後までキープするのが目標です。

--菊地さんならではのスタイルってあるんですか?最近シニアディレクターになってどうですか?

フリースタイルです(笑)
というのは冗談で、2つあって、1つはニュートラルな視点を保つこと。没頭するとどうしても灯台下暗しになっちゃうので、適切なタイミングで周囲に意見を聞いたり、自分でも頻繁に俯瞰するようにはしています。一旦気分を変えてそのプロジェクトから脱出してみることもします。
もう1つは強さと柔らかさのバランス。自分の意見を強く言える人でありたいし、でも変化に耐えうる柔らかさも持ち合わせていたい。 私自身何かに突出した才能があるわけではないので、掛け合わせでバリューを出せるようにしたいと心がけています。
プロジェクト経験としては、これまで3,000ページ以上のページの移行を含む大規模なリニューアルなど、Webのプロジェクトに関わることが多かったですね。でもまるでカメレオンのようにクライアントに合わせてプロジェクトを進める、いわゆる器用貧乏なところがジレンマで。これからは自分の色を出していきたいです。

--ちなみに菊地さんは社内で変わった人扱いされていることについてはどうですか?

私は普通の象徴のような人です。
ロフトワークは個性派集団のイメージが強いかもしれませんが。こういう人もいますので安心して欲しいです。

京都ディレクターのKさん
「菊地さんのよいところって何だろ。個人的には「いてくれるだけでホッとする」のはすごいことかも。」

ディレクターのSさん
「クライアントもファンにさせる独特な雰囲気、心には結構強い意志がある(おらおら・剛)のに、外に出すのは拍子抜けするくらい温和な感じ(のほほん・柔)」

シニアディレクターのYさん
「とにかく逃げないところがすき!結果はどうあれしっかり矢面に立ってくれる。あと後輩の面倒見がよくてちょっとのことじゃ見捨てない。なのにここまで気が狂っているっていうそのバランス

アシスタントディレクターのKさん
「長時間MTGの合間(お昼休憩)で宝くじ買ってた時は「これが菊地さんか」と実感したのを覚えてます。でもどんなにしんどいMTGの後でも、帰りの電車では後輩(私)に最近どう?とか話を聞いてくれたりとか、下をちゃんと見てくれる先輩ですよね!割としんどい案件でもあんまり顔に出さず受け止めてやっているイメージです。」

--ロフトワークでディレクターやってることに対しては、どう思ってますか?

去年携わったMORE THAN PROJECTは、プロジェクトのスキームからクリエイティブへのこだわり、世の中へのメッセージングなど、どの点を取っても秀逸でした。僕は初期のプラットフォームの構築を担当しましたが、地方で開催したイベント、海外での展示会に参加する機会をもらったり。あっと言う間の1年間でしたが、印象深いプロジェクトになりました。
今までは、コミュニケーションのチャネルのうちのWebがメインだったけれど、ロフトワークが関われる領域が拡がってきたので自分も新しい領域を開拓していきたいですね。

--今後はどうなっていきたいですか?

小さくても関わった人の心に響く「渦」を生み出していくのが目標です。そのために関わる人たちと正面から向かい合って、強い想いを込めてプロジェクトを推し進めていきます。
あとは、将来的に日本を出て、グローバルなプロジェクトに関わりたいですね。価値観の全く違う国の文化を肌で感じるのが好きなので。人が住んでいるのは地球という領域があって、そこ(地球)から出るのが難しいじゃないですか。でも、日本という領域にいなきゃいけない理由はないんですよね。海外(旅行)にもよく行くんですが、国外に出ると視野が広がるし、僕的には違うカルチャーとか国とかを見に行こうと思わない人の気がしれません。

--自分探ししている大学生みたいなこと言いますね!

大学生扱いしてくれて嬉しいです。

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執筆者

mayumi_ishikawa

パブリックリレーションズ石川 真弓

WEB制作会社勤務を経て、シックス・アパートで広報及びマーケティングに携わる。2013年7月より、ロフトワークとFabCafeのPR/プランナーとして、広報活動や各種プロジェクトのコミュニケーション戦略のプランニングを担当。本業の傍ら、個人ブログの運営やWebメディアでのライター業務、日本初のHDR写真をテーマにした書籍『HDR写真 魔法のかけ方レシピ』(技術評論社)を刊行するなど、週4日勤務社員とライター・ブロガー活動のパラレルキャリアを実践している。

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